うちの、10才児にきつくしていた時期は 3才頃から5才頃が1番キツかったと思います。
その頃は、お姑さんと、同居もあり、 毎日イライラもあり、同居を解消して、引っ越しなどもして、旦那は、ほぼ仕事でいなくて、 1対1で毎日を送っていましたから、全てが2人なんです。
そして、旦那とも上手くいかなくて、旦那の浮気も始まる。
お金が本当になくなり、1日の食事もどうしようと、悩んでるのに、 旦那は、給料を全額持って数日逃亡。
頭がおかしくなるような、切羽つまってましたね。
子供は必死に私を助けてくれようとしていますが、 そこは子供なんで、ワガママを言う。
何がなんだかわからなくなる不安と絶望と倦怠感、食欲不振、睡眠不足など、 もう、自分がおかしくなるしかないぐらいでした。
そんな頃、私の母が急死。 疲れてました。
不幸の連鎖って、あるんですね。
毎日をイライラしていた私は子供に怒りをぶつけていました。
この3才~5才頃のことは、10才児に今、聞いても 『う~、しんどかったなぁ、いつも怒られてた』 と、言われます。
とても大変でした。
この頃に、10才児のお兄ちゃんは、児童相談所に 発達検査のテストを受けています。
私は、私がしていたことも、話しています。
保育園の先生にも、話しています。 友達にも話していました。
自分でダメだ、立ち上がらないとお兄ちゃんが大変だ。 とは、心のどこかではわかっていたので、 とくに保育園の先生には、
『昨日、けっこうきつく怒りました、手も出ました。』 と、話しています。
先生は、お兄ちゃんにアザがないか、調べてくれてました。 たぶん、スゴいアザとかがあれば、すぐ児童相談所に連絡がいくようになっていたと思います。
私はそれでいいと思っていたので、事前に先生に
『何かあったら、児童相談所などに連絡して下さい。』
と、伝えていた。
やはり、自分では、対処できないから。
そんなときは、遠慮しないで助けを求めないと子供が危険と判断したからです。
先生には、 『珍しいよな笑っ、自分で申告してくるのって笑っ』
と、軽く笑わさせてくれてました、この言葉は救われる何かを持っていました。
人はみんな、どこかに弱い部分なんてたくさんあるんですよ、 言い訳ではないけど、
頑張るけど空回り。
やっているけど、わかってもらえない。
自分の思い通りにいかない。
そんなの、たくさん、たくさんあって、 それでも、人間は生きていかなければいけない。
1人でできないなら、助けを求めても、
“いいんじゃない(^^)”
と、思います。
続く